●短編読み物『七色の橋』  どうして僕はウサギなんだろうと思うと、少し悲しくなる。  朝起きたらオオカミになってたりしないかな? とか、ハトみたいに羽が あったらいいのに……とか、そんな事ばかり考えてしまう。  僕はベッドの側の窓から、七色の橋を眺めた。  オオワシさんが、村の若い人たちを集めて作ったその橋は、今では伝説の 様に語られている。  僕らの住む村の横には、流れの速い大きな川があり、果物や作物を売りに 町へ向かうには、1日掛けて遠回りしないといけなかった。それが今では、 この橋のおかげで数時間で済むようになったのだから、オオワシさんは村の 英雄と言っても過言ではないだろう。  当時、僕はまだ小さかったので見ているだけだったが、毎日毎日、たくさ んの若い人がせっせと大がかりな工事していたのを覚えている。  永い時間を掛け、7色のレンガで作られた橋は完成した。  オオワシさんはその後、自分の才能を発見したらしく、街に出て大きな仕 事をしている。  携わった若い人たちも、それに続くように街を目指し、自分の可能性を見 つめ続けているという。  そうやって一人、また一人と若者は旅立ち、気が付けば村の『若い人』は 僕だけになっていた。 「ウサギさんちの子、まだ村を出ないのかしら?」 「無理よ〜。あそこの子、臆病者だって噂よ〜。とても七色の橋みたいな大 きな事はできないわ〜」 「それもそうね。オホホホ」  外では、近所に済むネコさんとキツネさんが井戸端会議に華を咲かせてい た。  普通なら聞こえない距離の会話だったが、僕の大きな耳は、それをしっか り受け止めてしまう。  臆病者。  僕には辛い言葉だった。 「ごはんよー」  母の呼ぶ声がした。  階段を降りて居間のテーブルに座る。そこでいつも通りの朝食を取る。 「どうしたの? 元気ないみたいだけど?」  正面に座った母が、顔を覗き込んでそう言った。  僕は今さっき聞いた、ネコさんとキツネさんの会話の事をそのまま話した。 「あら、期待されているのね」 「どこかだよ。どうみてもバカにされてる」 「同じ事よ。オオワシさんだって、橋を造ろうと計画したときには、随分と 周りからバカにされたわ」  言われてみればそうだった。あんなに流れの速い川に川に橋を建てような んて、無茶な事だと思われていた。 「……でもオオワシさんは、やり遂げたんだね」  やっぱり僕は臆病者なんだ……。そう思わずには居られなかった。 「ねえ。オオワシさんは、別にみんなの為に橋を造った訳じゃないのよ。知 ってた?」  突然耳に入った情報に、僕は驚いて首を振った。 「あの橋は、自分の為に造ったものなのよ。それを私たちが勝手に使ってい るだけ。大体思い出しても見て。あの子はみんなの為に何かをするような子 だったかしら?」  そういえば……と、僕の頭の中で少しずつ、昔のオオワシさんの姿が甦る。  彼は、いつも何かを探すように空を飛んでいたのを覚えている。  翼があるので、たまに町へのおつかいを頼まれ、そのささやかなお礼で毎 日を過ごしていたが、そんな自分に腹を立てている様だった。  あの頃のオオワシさんを覚えている人は、今どのくらいいるだろう。彼は 他人に使われる事が、とてもとても嫌いだった。 「不思議だ。言われるまで忘れてたよ。水に流されたみたいに」 「めずらし事よ。良い上書きがされるなんて」  そう言うと、母は目の前のニンジンを一気に平らげた。 「あの橋には、知る人の少ない本当の使い方があるの」 「どうしてそんな事知ってるの?」 「本人から聞いたのよ」  ふふんっと笑うと、母は優しい口調で続けた。 「いつか、必要になるだろうからね」  僕は七色の橋の前に立ち、先程聞いた言葉を注意深く思い浮かべた。一言 一言をもう一度頭に刻み込む様に。 「橋の前に立ったら、自分に1番馴染む色を探すの」  目の前には、色とりどりのレンガが一色につき一列ずつ、奥に向かって細 い絨毯の様に伸びている。  僕はその中から、自分に合った色をすぐに見つける事ができた。 「見つけたら、その色を見つめて歩くの。心の中にも強く色を焼き付けて」  ゆっくりと、僕は足を進める。 「歩き出したら、決して目を逸らしてはだめよ。どんな声が聞こえて来ても よ」  一色を見つめたまま、僕はその色の上を歩く。それは思っていたよりも長 い道のりで、時間の経過と共に、疲労は溜まっていった。  しばらく歩き続けていると、周りの空気が突然変化したのを感じた。  懐かしい匂いがし、肌を安らぎ似た感触が包んだ。  ふーんふーん。  聞き覚えのある鼻唄が、僕の耳に届いた。あまり離れていない場所から聞 こえて来る。 「決して目を逸らしてはだめよ」  母の言葉を、頭の中で反すうする。  ふーんふーん。  決して、よそ見をしてはいけない。でも僕は、無視する事ができなかった。  聞き馴染みのあるメロディーは、記憶の中のそれよりも随分と弱々しく、 それが不安な気持ちを誘い出す。  今ここで無視してしまったら、僕は後悔する気がした。この道を歩き切れ なかった事よりも、とても大きな……。  ふーんふーん。  もう一度聞こえた時には、僕はもうその方角を見つめていた。  寂れた一軒家があり、大きな窓が開け放たれている。その中に、歳を取っ た母がベッドに身を起こして座っていた。  側には誰もいなかった。多くのシワが刻まれた顔を別の窓の方に向け、ま た鼻唄を歌った。  ふーんふーん。  それは、さっきよりも小さく、更に弱々しくなっていた。  ふーんふーん。  このまま消えて行ってしまいそうな鼻唄を前に、僕は進路を変えずにいら れなかった。  側に行かなくちゃ! もはや迷いはなかった。  しかし、その時だった。  老いた母は突然こちらを向き、ゆっくりと口を動かした。 「それでも、歩き続けるのよ……」  視線を道に戻すと、まだ同じ色のまま、それは残されていた。  もう一度母の方を向こうとしたが、怒られそうな気がして止めた。  後ろ髪を引かれながらも、僕は再び歩を進めた。もう二度とよそ見をしな いよう、自分に言い聞かせながら。  やがて、青い土筆が生えているのを見つけた。  あと少しだ。  目前のゴールに、疲労を忘れて歩き続けると、僕はようやく目指していた 場所に辿り着いた。そこでは目に見える物のほとんどが青い色をしていてる。 そして、聞こえる音はどれもが涙を誘った。  遠くでは様々な色の自動車が、忙しそうに行き交っていた。  ふと横に目をやると、青いフェンスが張り巡らされている場所があった。 周りは青い芝生になっていたが、その中だけは砂利になっている。  僕はそこが何のための場所なのか、即座に理解する事ができた。ここには 自分の知らないものはないのである。  僕は決して忘れないだろう。この青色に染められた世界を。そして自分の 臆病さを。これからも、ずっと。ずっと。  おわる。